内向的な人と外交的な人がいたら、どちらかというと外交的な人は社会で重宝され、内向的な人は日陰の身といったイメージがないでしょうか。
そのため、内向的であることに引け目を感じている人も少なくありません。本当は1人で静かに本を読みたいのに、無理に外向的な雰囲気に自分を合わせてパーティーや会合に出て消耗してしまうこともあります。リフレッシュにお出かけしようと誘われても、その後には自分なりの別なリフレッシュが必要なほど疲れてしまうこともあります。会議では誰よりもじっくり考えているのに「発言が少ない」、「場に貢献していない」とレッテルを貼られて、自信を無くすこともあるでしょう。
学校や職場では外向的な人の活躍は目立つけれど、内向的な人の力は見えにくいのが現状です。また、メディアや世間では外交的な人こそが求められる人材であるとされてきました。
しかし、最近ではその「常識」を乗り越えて、これまで見えにくかった内向的な人の力や悩みにスポットが当てられるようになりました。自分や身の回りを見直してみませんか。
そもそも内向的/外交的とはどんなこと?
内向的か外交的かということは、具体的にはどんなことを指すのでしょうか。
内向的/外交的という言葉は、心理学者カール・ユングが示した性格分類に基づく概念です。今では内向的な人と外交的な人の特徴がいろいろまとめられ、ネガティブな特徴と内向的な人の関係が言われています。しかし、それは自分や周りの人を固定観念で見たり、偏見を助長する危険があります。
エネルギーを外側から得るか、内側から得るか
外交的な人は、外の世界からエネルギーを得ます。人とコミュニケーションをとったり、様々な活動に参加したりして、刺激の中で自分を活性化します。気分転換やリフレッシュの方法も外とのつながりや活動の中で行う傾向があります。
それに対して内向的な人は、自分の内側にある感情やアイデア、イメージなどからエネルギーを得て活性化します。内向的な人には、じっくり物事を考えるための時間や静かな場所が必要です。コミュニケーションや活動的なことからもエネルギーを得ますが、消耗もするため、静かな場所で一人になってエネルギーを回復することも必要なのです。
刺激に対する反応の仕方
外交的な人はたくさんの経験を通して刺激を受けることを好みます。
それに対して内向的な人は、外部からの情報や密なコミュニケーションなどの刺激が自分のもつ容量に対して多すぎると、刺激多過で疲れてしまいます。内向的=人嫌いなのではありません。内向的の人にとっても、人とのコミュニケーションは心地よいものです。
しかし、刺激が強すぎると、心地よさの域を超え、過剰で不快に感じてしまうのです。そのため、刺激過剰となりやすい人ごみや騒々しい場所を遠ざけたり、参加してもその後には静かな場所でエネルギーを充電することが必要なのです。
広さを好むか、深さを好むか
外交的な人は、広く浅くを好み、内向的な人は深く狭くを好みます。友人、経験、学び方、仕事の仕方など様々なことにおいて、言えることです。
人間は内向的と外交的な人の2種類ではない
多くの人は、自分や家族、友人は内向的なのか外交的なのかを知りたくなります。それは、自分の特性を伸ばしたり、課題を感じて改善したいからです。
しかし、内向的/外交的の概念を捉え間違えると、ありのままの自分を見つめるどころか、自分や周りの人を固定観念や偏見の枠に押し込めてしまうことになりかねません。
誤解されがちですが、内向的な人と外交的な人の2種類がいるわけではありません。白か黒かという2項対立の考え方は危険です。それはむしろ色のグラデーションのようなものです。
内向的/外交的な人の特徴リストを見て自分は内向的か外交的か白黒つけたくなりますが、多くの場合、1人の人の中に内向的な側面と外交的な側面が同居する、濃さの違うグレーなのです。
ですから、はっきりと内向的、はっきりと外交的という人は実は少ないでしょう。内向的か/外交的か、内向型か/内向型でないかと二分法で考えずに、内向的なほうに寄っているか、外向的なほうに寄っているか、どんな場面で内向的(外交的)か、どんな時にエネルギーが消耗するか、どうやって充電するかと考えたほうがよいのです。
自分は外交的だと思い込んでいた人が内向的寄りだと気づいたり、逆もまたあります。内向的/外交的の概念をグラデーションのように捉えることで、誤解されやすい内向的な人に対する理解が深まり、部下や生徒、子どもを伸ばすためにできることが見えてくるかもしれません。
内向的な人が生きづらいわけ
程度の差はあれ、多くの人が内向的な面を持っていると考えるのが妥当です。それなのに、なぜか内向的な人の生きづらさはなかなか解消されません。その理由や対策についてみてみましょう。
外交的な人に優位な社会
生物学的意味合いでの女性は、数の上では男性とほぼ変わらないのに、いまだに社会の中では少数派=マイノリティになりやすい存在です。女性に対する意識は昔とはだいぶ変わってきましたが、社会の仕組み自体が男性優位に作られているため、その中で生きづらさや困難を抱えやすいのです。
内向的な側面を持つ人はたくさんいると思われるのに、現状の社会は外交的な人に優位に作られています。人生の大半を過ごす学校や会社の体制は人が一斉に集まり一斉に散っていくようなシステムがいまだに多数ですし、商業や娯楽施設は過剰なほどの刺激にあふれ、刺激に疲れた人が休息し充電するためのスペースはオマケ程度にしかありません。
それでも大分改善されてきましたが、基本ベースは変わっていません。
内向的な人に対する偏見や、誤った優劣のつけ方
そして、社会全体の傾向が外向的に優位な方向に向いていると、求める人材も外交的な人に偏ります。
受験や就職の面接対策でも内向的であることよりは内向的であることが推奨されますし、自己啓発本ではどうやって内向的な自分を「克服」して外交的になり、会社や社会に適応していくかが課題とされています。
しかし、気質が外交的か内向的かによって人間に優劣をつけることは誤りであり、内向的な人が社会に適応できないというのも偏見です。
そもそも、内向的/外交的についての本来の意味が誤解され、内向的なことと内気さなどのネガティブな性格が混同されていることすらよくあります。しかし、生まれ持った気質と、後天的に獲得される性格、中でもネガティブなものを短絡的に結びつけることは、内向的な人をさらに傷つけ、自尊心や自信を奪うことにつながりかねません。
最近になって、その誤解を解きほぐして内向的な傾向を強みとして捉え直し、実はリーダーに向いていることも様々な媒体で知られるようになりました。
隠れ内向的も含めたマイノリティに光を当てることで、多くの人が生きやすくなるのです。
内向的でも外交的でも力を発揮するために
個人レベルでできること-エネルギーを消耗しない方法を考える
内向的な傾向が強い人にとって、エネルギーの消耗問題は深刻です。現状ではどこも外交的な人優位な環境の中では、外交的な傾向が強い人と同じやり方では、仕事や生活にまで支障をきたしてしまう人も少なくありません。
ある内向的な人は、その才能と実績を買われていろいろな企業に呼ばれて飛び回る仕事をしていますが、多忙なスケジュールの中には自分のエネルギーを回復するために一人になる時間もきっちりと組み込まれています。
刺激過剰やエネルギーを消耗するような場面があっても、自分の元気の源や疲労の原因とそのサイクルをよく知ることで、自分にあった対策をとれるようになるのです。
また、自分にとって譲れないことや、物事の優先順位を決めておくことで、無理をしてストレスをため込んだりせず、自分を守ることができるのです。
ユニバーサルデザイン―内向的な人にも外交的にもやさしい環境づくり
たくさんの人が内向的な側面を持つにもかかわらず、社会の環境のせいで内向的な人を消耗させることは、本人にとって打撃なだけではなく、社会全体にとっても大きな損失です。
マイノリティにやさしい環境を作ったら、それはマジョリティにとっても心地よい環境になった、そんな考え方や設計のことをユニバーサルデザインと言います。もしこれを読んでいる方が上司や先生なら、内向的な人を活かすユニバーサルデザインの場づくりを考えてみてください。日本にはまだ少ないですが、実際にその方向にシフトしている企業や学校はたくさんあります。フレックスタイム制、オン/オフを切り替えやすくするための休息の場の充実、会議の軽減、会議の方法そのものを変えるなど、参考になるアイデアはたくさんあります。
また、いきなり制度や仕組みを変えることは難しくても、現状の中でできることはたくさんあります。職場や学習の場から余計な刺激となるものを減らす、発言は少なくても深く考えている人のペースを尊重して、その意見を無理なく引き出す工夫をする、疲れたら避難しやすい場所を確保して活用ルールを作っておくなど、エネルギーの回復やメンテナンスのための場や方法を標準装備してみましょう。1つでも実行することで、内向的な人は自分を理解してもらえたという安心感を得ることができますし、職場や学校の中にエネルギーを前向きに活用できる人材を増やすことができるのです。
まとめ
自分のことを内向的/外向的だと思い込んでいたけれど、意外と違う側面を発見してしまったという人もいるのではないでしょうか。現状では外交的な人にとって優位な社会や制度の中で、内向的な人が個々に自分のエネルギーレベルを高く保ってサバイバルしている状況です。
内向的な人が個人でサバイバルする努力はもちろん現実的に必要ですが、もっと大事なことは、学校や職場を誰もが生きやすいユニバーサルデザインの視点で改変していくことです。それは内向的な人だけではなく、外交的な人にとっても落ち着きや余裕のある心地よいであるのです。