承認欲求の悪循環を断つために今すぐできる自己承認の育て方

承認欲求の悪循環を断つために今すぐできる自己承認の育て方 ストレス

承認欲求‐誰かに認められたいという欲求は、誰にでもある自然なものです。しかし、誰かに無条件に認められたり、他者からの尊敬を勝ち取ちたいあまり、仕事や学業、恋愛や家族関係などで本来の目的を忘れ、いつの間にか認められることが目的になってしまうことはないでしょうか。

承認欲求が強すぎる人は、仕事や勉強を頑張っているのに充足感や自信が感じられません。

また、傍にいてくれる人がいるのに、なぜか寂しさや虚しさ、孤独を感じてしまうならば、人からの承認だけでは満たされない状態であると言えます。

人からの尊敬の態度や名声を勝ち取らずには自分の足で立っていられないという人は、承認欲求の悪循環にはまってしまっている恐れがあります。それは同時に、今が悪循環から脱するチャンスだというサインでもあるのです。承認欲求の悪循環から自分を解放し、次のステップに進むために、できることを一緒に考えましょう。

承認欲求をこじらせる原因は?

幼少期に無条件の承認を得られなかった

幼少期に無条件の承認を得られなかった

承認欲求をこじらせてしまう原因として、幼少期に母親からの愛着や無条件の承認を得られなかったことがあげられます。何らかの事情で物理的に親と離れて暮らしていただけではなく、未熟な大人のもとで育てられた子は、幼い時期に身につけるべきことを獲得できていないがために、成長した後で苦労することが多いのです。

乳幼児期の発達課題である愛着や無条件の承認は、とても大事なことです。しかし、適切な時期にそれを受けられなかったといって、次のステージに移ってしまった後に乳幼児期と同じような形でそれを受け取ることは難しいのです。

条件付き承認のメッセージの内面化

条件付き承認のメッセージの内面化

相手を無条件に受け入れるということは大事なことでありながら、なかなか難しいことです。子育て中の親子の間でもこんなメッセージが飛び交うことがあります。

「いい子にしてないと、お外に行けないよ」

「そんなお行儀の悪い子、うちの子じゃありません」

また、言葉のメッセージだけではなく、親が望むことをした時だけ抱きしめるなどの行動を子どもは敏感に感じ取り、「自分は〇〇しなければ愛されないのだ」と心に刻んでしまいます。

親と子の蜜月期を終えて、同年代の友達ができ、学校に入り、子どもの社会が広がると、そこには条件付き承認が溢れています。

「勉強を頑張れば親がほめてくれる」

「先生に頼まれた仕事を頑張れば先生に好かれる」

そんな条件付きの承認に応えようともがくうちに、子どもは周囲からのメッセージを自分の中に取り込んで内面化してしまいます。

「〇〇できない私は愛されない」

「〇〇しないと、仲間や先生から認めてもらえない」

内面化されたメッセージは、自動的に自分の中で再生され続けます。

そして、相手にも「こうあってほしい」を強く望むようになります。恋人であれば「私がこんなに尽くすのだから、相手も当然それに応えなければならない」というように。

しかし、この条件付き承認のメッセージの再生ボタンを解除しない限り、他者の人生を満たし続けても自分は満たすことができず、自分の人生を生きることができないのです。

発達段階は逆行できないのか

発達段階は逆行できないのか

幼少期に無条件に親や近親者からの承認を受けることは、人間としての発達にとって欠かせないことだということは心理学や発達理論でも言われていることです。

では、親と何らかの事情で別れて暮らした人や、未熟な親元で自分の子どもに無条件の承認を与えられずに育った人は、この承認欲求の悪循環から抜け出すことは難しいのでしょうか。

残念ながら、思春期や成熟した大人になってから発達段階を遡り、乳幼児期の子どもとしてやり直すことはできません。が、承認を求める多くの人は、相手が恋人であれ同僚や上司であれ、無意識のうちに子どもが親に求めるような無条件の承認を求めがちです。

そして、それは「私がこんなに愛しているのだから、あなたもそうすべきだ」、「ここまで努力しているのに、なぜ本当の私を認めてくれないのか」といった条件付き承認の形をとるのです。

青年期以降の人間関係は、自立した個人と個人による相互依存で成り立っています。少なくとも、そういう前提のもと、関係を築きます。ですから、「私を無条件に受け入れてよ」と迫られた相手は自分と同じく成熟した大人と向き合っていると考えるため、当然その要求に戸惑いを覚えるでしょう。また、自分と相手が求めることの質の違いを「重たい」と感じて離れていくこともあるでしょう。

友人や恋人がそばにいるのになぜか寂しい、仕事や勉強で頑張って成果を上げているのにどこか空虚で孤独を感じるなら、その根底には、幼少期に得られなかったものを取り戻したいという欲求が潜んでいるかもしれません。

その気持ちはあって当然です。しかし、求めれば求めるほど虚しさや孤独の悪循環にはまっている自分に気づいたなら、悪循環を断てるのは自分しかいません。勇気を出して、次のステージに進むことを決断する時なのです。

自己承認―セルフエスティームを育てる方法

セルフエスティームとは

セルフエスティーム

心理学者マズローの有名な欲求段階説の中でも、承認欲求は重要なポジションを占めています。おさらいすると、人間は①生理的欲求→②安全欲求→③所属と愛の欲求→④承認欲求→⑤自己実現欲求の順に、段階を追って満たされることを求めるというものです。

ただ、マズローは単に他者からの尊敬や、社会的な地位や名声、注目のことを承認欲求と呼んで言えるわけではありません。マズローは他者からの承認に加え、より高次なレベルとして自己承認の重要性を説いています。

他者、とくに幼少期の無条件の承認を得られた人であっても、自己承認の段階に進めなければ、虚しさと孤独の承認欲求の悪循環にはまってしまう危険は大いにあります。また、幼少期に様々な事情で親からの承認を受けられなかったとしても、自分で自分を愛されるべき価値ある存在として認め、自己実現に向かっている人はたくさんいます。

日本語では自己承認、自尊感情、自己肯定感などいろいろな言葉がありますので、まとめてセルフエスティーム(self-esteem)と呼んでおきます。セルフエスティームは、確かに幼少期に育むことが大事ではありますが、幼少期から老年期まで、今の自分のよいところも課題も受けとめて価値を見出していくことは、どの発達段階においても取り組むべき重要な課題です。

ですから、いつ始めても遅いことはありません。承認欲求の悪循環から抜け出し、次のステージに進みたいと思ったその時が、スタート地点なのです。

方法①自分を認める自己承認力をつける

自分を認める自己承認力をつける

人間関係でどこか虚しさを感じて人からの承認を得ることに躍起になってしまう人は、心の中にぽっかりあいた穴を埋めようとしているのかもしれません。しかし、埋めようとすればするほど孤独な自分を感じ、人に依存してしまう傾向があります。

自分の孤独を埋められるのは、他でもなく自分です。幼少期の例だけではなく、承をこじらせた理由が他者の言動にあるとしても、回復できるのは自分です。親しい人や専門家の力を借りても、その人たちは回復を助けたり、回復しやすい環境を整えてくれるだけです。承認のコップは人からの承認ではなく、自分の承認で満たすのです。

それは、誰かに見せるために自分を飾ってみせ、飾った自分を褒め称えることではありません。自分のよい部分も目をそむけたくなる部分も、客観的に受け止めることなのです。

方法②自分をいたわる

自分をいたわる

承認欲求をこじらせてしまったひとは、何はなくとも他者からの承認によって満たされたい思いが先行して、日常生活もおざなりになりがちな傾向があります。

生理的欲求、安全欲求などの低次の欲求を満たすことよりも人間関係、とくに他人からの承認で自分を満たすことに躍起になってしまうと、ひどい場合は心身のバランスを崩したり、危機管理能力が低下して承認を得るためならと危険な行動に走ってしまいかねません。

自己承認の力を伸ばすこととも関係しますが、承認欲求以外の欲求を意識的にバランスよく満たしておくことは、承認欲求に振り回されないためにもとても重要なことなのです。

方法③他者を承認することに力を入れる

他者を承認することに力を入れる

承認欲求の強い人は、他者からの無条件の愛情や尊敬、称賛を強く望んでいます。

話は少しそれますが、自分が欲しいものを手に入れるためにはどうすればよいのでしょう。様々な神話、伝承、哲学などはそれぞれ別のことを言っているようで、根底には人間関係の築き方についての普遍的なルールを示唆してくれます。

それは、欲しいものは自分の手元には長く置かず、いさぎよく手放し人に贈ること、そうすればやがてそれは巡り巡って、時間をおいて自分の手元に戻るということです。それが、人間関係を円滑に循環させるためのコツでもあるのです。他者からの承認が自分にとって大事であり、望むものであれば、まず他者に向かって承認を贈ること、そこからしか始まらないのです。

相手の出方を待っていても結果は得られません。

相手の出方を待っていても結果は得られません。

人間関係やコミュニケーションでは、相手の出方を待っていては望む結果は得られません。

人間関係の円滑な循環が悪循環になってしまった気づいたとき、それを修正する最初の鎖になれるのは、それを望む自分でしかないのです。

人に話を聞いてほしいならば、無理強いするのではなく、自分から相手の話を聞く姿勢を作るのです。コミュニケーションは良くも悪くも伝染性が強く、相手を攻撃するとそれに反応して相手はさらなる攻撃を返してきます。

逆も然りで、自分の気持ちを率直に、相手を攻撃せずに伝えることができれば、相手もその気持ちを受けとめやすくなり、率直な気持ちを攻撃せずに返してきます。

自分の他者への気持ちは寛大に

自分の他者への気持ちは寛大に

この時に大事なことは、自分の他者への気持ちは寛大に、出し惜しみしないという態度です。

もし、この時に「相手が謝罪して私を愛していると言わない限り、私は絶対自分から謝らないし、愛情も伝えない」という競い合いの態度で臨むと、相手もその態度に反応して、終わりなき冷戦が続くことになります。得られたとしても上っ面の言葉だけでしょう。

他者への承認も同じです。自分が承認返しをして欲しいがためのおべっか、へつらいの態度で臨めば、巡り巡って自分にも同じような嘘でぬり固められた承認が返ってきます。けれど、それがあなたの望むものだったでしょうか。

最初は難しくて戸惑うかもしれません。しっくりこないのは慣れていないからです。周りに目を向け、心から尊敬する人を見つけたり、自分の言葉がしっくり馴染むのを感じられるまで、何度でも練習しましょう。

私が望むものを、見返りを求めずに心からの気持ちをこめて他者に贈ること、そのことで心地よさやすがすがしさを感じることができれば、それは悪循環を乗り越えたサインの1つと考えてよいでしょう。

まとめ

求めても求めても孤独や虚しさを感じてしまう、そんな承認欲求をこじらせてしまった人の対処法は、他者に求めることを手放すことでしかありません。幼少期に退行して失ったものを取り戻すことはできませんが、自分自身の人生を生きることに自信を取り戻すこと、これまでとは違う他者とのつながりを築きなおすことは生涯を通じての人間の課題であり、いつでも始めることができるのです。