個人差や程度の差はあれ、感情を感じなくなった、感情がない状態がつらいという人が増えています。
感情は、もともと誰もが自然に持っているものです。初めから感情がないという人はいません。
では、どうして感情がないように思えたり感じにくくなるのでしょうか。また感情を感じられないことでどんなことが起こるのでしょうか。
感情を感じられないと悩む人はもちろん、周りの人がそのつらさを理解して受け止めていけるように、感情との付き合い方について考えてみましょう。
感情に対する社会の矛盾
衝突の場面の「感情的になるなよ」という言葉に見る、感情に対するねじれた見解
幼少期は「情感豊かに」
子ども、とくに乳幼児期の子どもは、感情を表現する語彙は少ないものの、その表情、行動には感情が豊かに表れます。「子どもは無邪気でいいわね」とうらやましくなる人も多いでしょう。親も保育の現場でも、この時期の子どもには体験活動や絵本の読み聞かせを通して豊かな情感を育てることが大きな目標となっています。
しかし、この時期の子どもはまだ自分の感情をうまく表現したり、相手の感情を推し測って理解することもできません。コミュニケーションの初心者なのですから当然です。ですから、順当に発達していく中で、親子の蜜月期を超え、保育園や幼稚園などの社会で友達や先生などの新しい登場人物が出てくると、その中で当たり前ですが感情の行き違いによるもめごとが起こります。
ジョーン・E・デュラントは、著書の中で、発達段階別の親子の課題を階層的に示していますが、その中で乳幼児期後期には「丁寧にコミュニケーションをとる技術」、幼児期には「暴力を用いない衝突の解決」を重要な項目として取り上げています。
ジョーン・E・デュラント 監修:セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン、2009、『親力を伸ばす0歳から18歳までの子育てガイド ポジティブ・ディシプリンのすすめ』、明石書店
しかし、見ての通り、「丁寧にコミュニケーションをとる技術」も「暴力を用いない衝突の解決」も大人が一番苦手とすることの代表格のようなものです。
現実的にはそれを子どもの頃にも、大人になってからも学べていないため、コミュニケーションにおいて特に衝突の場面で必要となる感情が軽視されてしまっているのではないでしょうか。
大人社会の「感情的になるなよ」は感情の殺し文句
人間の発達、特に乳幼児期において重要とされている「丁寧」で「衝突」も扱えるコミュニケーション力は、どこで育成されるかあやふやなまま、子どもは発達段階のステージをあがっていきます。
家や学校、職場でも、生まれも育ちも多様な人が集えば、当然、衝突は起こります。衝突には「怒り」、「悲しみ」、「不安」、「恐れ」などの様々な気持ちがつきもので、それは自然なことです。
しかし、大人社会ではこの一言でその感情をネガティブで、忌み嫌われるものとして封印しようとします。
「感情的になるなよ」。
この一言には、衝突の場面で率直に怒りの感情をあらわにすることは、いい大人として恥ずべきことだといったニュアンスが感じ取れます。そう言われた側は、バツの悪い思いをして、たいていの人は押し黙ってしまうでしょう。
乳幼児期のころは大事だと言われていた情感が、どこでどのようにして不合理で、忌み嫌われる対象になってしまっているのでしょうか。
感情に対する見解の矛盾いろいろ
感情をあらわにする人は恥ずべき行為だと暗黙のうちに了解されている大人社会ですが、では感情がないことがいいことかと言えば、そうではなさそうです。
一般的に考えても、無表情で何を考えているか、何を感じているかわからない人が近づいてきたら、得体のしれない不気味さを感じるはずです。それを避けるために、文化的にその方法は様々であっても、「私は敵ではありませんよ」という親愛の情を示しながら人に近づくのは太古からの人間の知恵であったはずです。
また、感情なんてめんどくさいと思っている割に、「感情を感じられない人」が現れると合理的でうらやましいと思わず、理解を寄せることもできないのです。
このように、感情についての一般的理解は、複雑に交錯してしまっています。
感情がない、感情を感じられないことの原因は?
実際に、感情がない、感情を感じられないという当事者やその近親者には、想像できないような苦しみや困難があるでしょう。自然にあるはずの感情を感じられなくなる理由は、様々です。
1つは病気や疾患によるもので、例えば、うつ病、認知症、パーキンソン症候群、脳卒中などの症状として、感情を感じにくくなることがあると言われています。
しかし、うつ病などの精神的疾患は、うつだから感情を感じにくくなるのか、感情に対する矛盾した見解やメッセージが飛び交う中で、感情を押し殺してきたからうつ病を発症したのか、どちらが先か正確に判断することは医師であっても難しいでしょう。
もう1つは、今述べたように、ストレスが蔓延する社会の中で、感情を感じたり表現することを抑制するような空気の中で、感情に蓋をし続けたことの帰結であるともいえます。
期せずして不幸な出来事に見舞われてしまった人はもちろんのこと、誰にとっても自分の感情を小出しに発散する場は必要ですが、今の社会では、そのような場は幼少期か、カウンセリングルームでしか得られにくくなっているのが現実です。
感情がない苦しみを理解し、誰もが感情とうまく付き合うために
ねじれてしまった感情に対する理解を解きほぐすために、感情や情動を扱う心理学や、コミュニケーションのトレーニングで言われている原則を今一度思い起こしてみましょう。
感情を味わって生きるための原則
感情の役割
感情には、大事な役割があります。大きくても小さくても、自分の身に何かが起こると、人間の感情は動きます。
感情には、今、自分が経験したこと、自分が置かれている状況などについて、それがどんな意味を持つかを気づかせてくれる大事なサインであり、たいていは頭で認識するよりも早く、体が反応します。
うれしいとき、楽しいときは自然と口角が緩み、笑顔がこぼれます。
怒りの感情が湧いたときは、目頭がぴくぴくしたり、心臓や脈拍が早くなったり、膝が震えたりします。そんな体のサインを受けて、私たちは自分が怒っていることに気づいたり、自分で思っている以上に怒りが大きくなっていることを知らされることになります。
また、ちょっとしたイライラでも、それをスルーせずに受け止めることで、自分が今の状況に問題を感じていることに気づいたりもします。それに丁寧に向き合えば、自分がこれからどうしたいのか、どうなりたいのかを知る重要な手掛かりにもなるでしょう。
感情を感じることは、人間が生物として生きていく上で、欠かすことのできないものなのです。
感情にいい感情と悪い感情の区別はつけられない
一般的に、怒り、悲しみ、不安などはネガティブな感情として、できれば感じずに過ごしたいと誰もが思います。そのため、他の感情に比べて蓋をされる率が非常に高いのです。
しかし、先の項目で述べたように、怒りの感情には大切な役割があります。ですから、蓋をせずに、また怒りの炎が燃え上がらないうちに、煙が燻っているくらいの段階でしっかり受け止めて、扱ってあげることが大事なのです。
悲しみも同様に大事な感情です。不安も、不安を感じるからこそ、それを乗り越えて喜びに向かえる大事なステージです。
ここからわかるように、感情にいい感情と悪い感情の区別はつけられません。どれも一人一人の人間に備わるべき、大事なものなのです。
感情との付き合い方を学ぶ
とはいえ、感情に蓋をすることに慣れてしまうと、気づかぬうちに怒りの炎が大きくなって、手が付けられなくなってしまうことがあります。
イラっとした程度ならまだ冷静さを保って応対できますが、激怒した状態では、たとえ成熟した大人でも余計な暴言を吐いてしまったり、物に当たってしまうこともあるでしょう。コミュニケーションビギナーの子どもや未成熟な大人は、イライラをうまく言葉で表現できずに、物を壊したり、つい暴力的な手段をとってしまうこともあるでしょう。
そうすると、言葉や暴力で相手を傷つけてしまうことはもちろん、怒りの感情に振り回されてそんなことをしてしまった自分も傷つきます。
感情がふくれあがってしまうと、誰であっても手が付けられず、それに振り回されてしまいます。大事なことは、感情の動きを敏感に感じ取り、放置せず、きちんと味わい、小さなうちに扱うことです。
小さいうちなら、発散しあってもお互いに受け止めあえる許容範囲なので、衝突はひどくなりません。
幼少期から必要だと言われている「丁寧なコミュニケーション」、「暴力を用いない衝突の解決」を具体的に身につけるためのトレーニングには、感情との付き合い方が必須項目としてあります。
「感情的になるなよ」という言葉を使うことは、ある意味、相手が味わったり発散すべき感情に外から無理やり蓋をして閉じ込めてしまう反則行為です。
ついつい「感情的になるなよ」という殺し文句を使いがちな人は、自分に対しても人に対してもそれを使わず、感情を味わって受け止めあう方法を今身につける時ではないでしょうか。
まとめ
感情がない、感情を感じられない人の問題は、当事者や専門家だけが努力して乗り越えればいいという問題ではありませんでした。当事者ではない人たちが、自分や周りの人が「感情的にならない」ように抑え込む今の風潮の問題点に気づき、向き合い、感情を扱う方法を学んでいくことが、遠回りのように見えて一番大事なことなのです。